日本福音ルーテル教会の最初の伝道・会堂

 日本にキリスト教が最初に伝えられたのは、今から456年前の、スペイン人のフランシスコ・ザビエルが宣教師として鹿児島に上陸した、1549年(天文18)であります。その後、200余年にわたる鎖国と厳しい切支丹弾圧により、キリスト教の宣教はなされませんでした。その後、1859年に再び、九州の長崎などで宣教が再開されました。

 ルーテル教会は、J・A・B・シェーラーが日本への最初の宣教師として、1891(明治24)年10月にアメリカの南部一致シノッドのミッション・ボードから派遣されました。シェーラーに遅れること九ヶ月後、 第二の宣教師として、DRB・ピーリーが11月23日、太平洋の巨涛を渡って、日本の横浜に到着しました。彼は24歳でした。

 日本のルーテル教会による最初の礼拝は、1893(明治25)4月2日の夕、イースターの日に、佐賀・明治橋通七八番地の借家にて20名ばかりの出席者によりささやかにもたれました。

 最初のルーテル教会堂が佐賀に建ったのは、1900(明治33)年12月13日です。その献堂式の模様をピーリーは、ホードの機関紙『Lutheran Visitor』につぎのように書き送っています。

 「先週、新しい教会の献堂式が行われた。礼拝式文に従い、4人の牧師と2人の役員が式を執り行った。司式はピーリー、聖書はブラウンとウィンテルが読み、山内が説教した。教会建築費は1,100ドル、その内の250ドルは佐賀教会員の献金によるものであった。」(LV,1901.1.17)


                最初の会堂

                   日本における最初の会堂(佐賀 1900年)