月報付録 2008年5月4日発行   

  「東海教区・静岡教会前史」
   ELC宣教師の軌跡(53)

    「教会合同準備 A」

前稿では、一九六二年五月上旬、熱海で行われた第三回合同準備会のところまで触れた。

同月、五月十四日から十五日まで大阪ルーテル・アワー・センターで、第三回準備委員会が開かれた。

出席者は次の通り。

東海福音  河島、大柴、ソレンソン

近畿福音  奥川、キブレ、アルベ

 スオミ・シノッド   野沢、ルンド

日本福音  岸、山内、坪池、田坂、ハドル、タック

オブザーバーとして西日本福音ルーテル教会の鍋谷、田中、谷口、ルンドビー、さらに日本ルーテル教団からはハスが出席した。

先ず、前稿で触れた二つの非公式会談の報告が行われた。さらに、三団体からの申し入れで東海、近畿、西日本からの申し出である以下の内容の七項目をとり上げ、協議し、相互の申し合わせとした。

教区長を常議員に加えること。現在各団体が伝道している地域を教区とすること。また各団体の憲法規則は第一回

の定期総会で承認をとりつけること。それに資金通路、人事交流、施設の運営なども、各々の要望の線にそって行こうということ。六月末迄には各団体とも参加の意志表示を委員長に連絡すること。          

それから二ヵ月後の、七月三十日と三十一日の両日、第四回がルーテル箱根山荘(三河旅館併用)で開かれた。出席者は次の通り。

東海  河島、大柴、ソレンソン

近畿  石村、キプレ

スオミ・シノッド  岡田、ルンド

日本福音  岸、山内、坪池

オブザーバーとして西日本福音ルーテル教会から田中。

会議の冒頭、近畿ルーテル教会からの提案として、「七月八日の臨時総会において、合同創立総会を来年五月以降に開いてもらいたいという希望条件をもって、合同参加を決議した」という報告があった。これに西日本ルーテル教会からも一九六三年三月の総会において何らかの態度表明が期待できる教会情勢を形成したいという表明があった。

これらを受けて、会議は合同創立総会を一九六三年五月一日から三日に開催できることを共に祈り、それに向けて準備することとした。それと同時に、教職退修会を天城山荘で十月二十九日から三十一日の問「日本におけるルーテル教会の形成」という主題の下に開き、その準備委員として江口、石居、三浦、大柴、石村、岡田を選出し、そこにプログラム作りを委ねた。

さらに、第四回準備会では合同を一層具体的に進めるために、次のように教職退修会の主なプログラムを決定すると共に、今後の課題を「憲法、規則の研究と実践のプログラム作成、及び各教区規則   の検討」とした。

なお、教職退修会は、主要課題を「日本におけるルーテル教会の形成」とした。

第五回準備委員会は、九月十七、十八両日、名古屋恵教会で開かれた。出席者は次の通り。

東海 河島、大柴、ソレンソン

近畿 石村、奥川、アルベ、キプレ

スオミ・シノッド ルンド

日本福音 岸、山内、坪池

オブザーバーとして西日本教会から谷口、ルソドビー、日本ルーテル教団からハス。

この第五回準備委員会の協議内容を河島亀三郎は「東海教区二十年史」で次のように書いている。

「各団体から合同上の難点と見えるもの、あるいは要望が出そろうと共に、これを受け入れ合同の中でどのように消化して行くかということが一貫して話題の根底にあったのであるが、具体的にどのような姿の合同教会が実現するのか、立ち止ってそれを反省する時点に立ったのが、この第五回目であった。

反省は一方において、統一教会の現実形体はどのようなものであるのかということ、他面、各団体は合同の中でその特性を保持できるのかどうかという不安で、いわば求心的なものと遠心的なものとの緊張関係があらわになって来たのである。

問題となるのは()教区区分、()教師養成機関としての神学校、()資金通路、それに()教区規則の保有の四つが主で、それに施設の運営と管理、人事の取扱いなどもからまっている。

統一教会の立場からは『理想形体』という要望、実は単純化が前面に出るのに対して各団体側は『各々の自主性、特質』の主張となる。そこで当分の間とか、第一回定期総会までとかいう条件づけで、話をまとめようとする。

何となく『曇り荒模様』のふんいきではあったが、年金の一本化とか、教師給与の改定など身近かな事柄も話題にのせ、ともあれ次回を期待しつつ散会した。」

第六回準備委員会は、秋の模様が深まる伊豆の天城山荘での教職退修会に先立って、十月二十九、三十両日、行なわれた。出席は次の通り。

東海

河島、大柴、ソレンソン

近畿

石村、奥川、アルベ

スオミ

岡田

日本福音

岸、山内、坪池、田坂

オプザーバーとして西日から鍋谷、ルンドビーが、ルーテル教団からはハスが出席した。

ここでは、地方部会を発展させて各教会の範囲と重なる教区の区分や教職養成機関としての神学校の問題、資金の通路、教区規則の保有などは論議の対象となり、以下の項目が確認事項として決議された。

一、議長を専任にする。

一、事務局長を専任にする。

一、事務局は東京に置く。

一、宣教師の中から一名の協力主事をおく。

一、専任事務局長として坪池を合同総会に推薦する。

一、創立総会費用分担のこと。

一、創立総会準備実行委員として、事務局長、岡田、徳善、浜田、ヌーディングを選んだ。

一、合同の主旨、経過、組織、運営、特長、展望をのべたリーフレ   ットを作って各教会の理解を深める。

一、機関紙の発行。

一、準備委員会運営上の費用として、一団体五千円を支出する。

この年の暮れ、十二月十七日、大阪のルーテル・アワーセンターで第七回準備委員会が開かれた。集ったのは以下の通り。

東海

河島、大柴、ソレンソン、

近畿

石村、奥川、アルベ、

キプレ、

スオミ 岡田、

日本福音

山内、坪池、田坂、

ハドル

この第七回準備委員会は、合同の最大の争点である神学校問題が主に話し合われた。

この時、岸委員長が欠席だったので、臨時の座長を務めた河島亀三郎は、次のように回想的に語っている。

「実はこの会議には一つの困難な問題が控えていた。紛糾のおそれは予期していたが、果して会議開始前に、近畿ルーテルの牧師方から『意見あり』ということで、私は別室に呼ばれた。事は神学校に関してである。教師養成機関としての神学校のことは、これまでも、時々話題になったのであるが、今回は議題の一つとして、小委員からの報告が予定されていたので対決のかまえとなるのも、当然の情況であったのだ。神学校は東京鷺の宮(当時)にあるものと、神戸にあるものとの二つだが、合同の立場からこの二つをどう位置づけるか、ということなのである。解釈は鷺の宮にあるものはThe Seminaryであり、神戸にあるものをA

Seminary とする、牧師養成の機能にかわりはないが、The Seminary は一つ、その外に第二、第三のものもあってよいだろう、というのである。神戸ルーテル神学校としては、不本意ながら声をひそめていたのであるが、この際

『合同後、神戸ルーテル神学校卒業生であって、合同した教会の牧師を志願する者については、東京のルーテル神学校において、教会が指定する一定の期間研修することが望ましいことを提案する』(一九六二、一、一六日付小委員会報告第6項)といわれてみると反撥しないわけに行かなかったであろう。」(「東海教区二十年史」)

 このように、第七回準備委員会は、中心的な協議として「神学校問題」が行われたが、この件をめぐって、合同協議は大きな暗礁に乗り上げつつあった。

 この問題に間接的に当事者として関わった石居正己氏は「日本福音ルーテル教会百年史」の中で、次のように書いている。

 「合同後、神戸ルーテル神学校卒業生であって合同した教会の牧師を志願する者については、東京のルーテル神学校において、教会が指定する一定の期間研修することが望ましいという提案が出されていたからである。旧教派の神学校を基礎にした日本基督教団内での状況や、伝道初期に他教派から移斉した教職の援助を得たことによって生じた問題などを考え、昔ながらの一つ釜の飯による交わりが期待されたのであろうが、強い反発を招き、その問題の検討委員会も同じ結果になった。」

 第七回準備委員会は、結論を得ないまま、「本提案(神学校問題)に開し、種々討議の結果、更に委員を増加し、研究をなした上、次期準備委員会にあらためて提案し善処することとした」とし、委員として山内、岡田、大柴、石村、キプレの五人が選ばれた。

 翌年の、一九六三年春、二月十二日、東京の鷺宮の、日本ルーテル神学校で、第八回準備委員会が開かれた

 出席者は次の通り。

 東海  河島、大柴、ソレンソン

 近畿  石村、奥川、アルベ、キプレ

 スオミ 岡田    

 日本福音  岸、山内、坪池、田坂、ハドル、タック

 オブザーバーとして西日本の鍋谷、ルンドビー、デンマークのメルキヨルセン、フィンランドのワルトネンが出席した。

 主な協議は神学校問題である。昨年末から、山内六郎を委員長として研究してきた結果が小委員会より以下の四項目が報告された。

@現段階としては、日本福音ルーテル神学校を公認の神学校として認める。

 A日本ルーテル神学校に対して寄附行為の改正を要望する。

 B日本ルーテル神学校の教授内容及教授陣の強化向上を計る。

 C他のルーテル神学校を卒業した者で、日本福音ルーテル教会教師たることを志す者については、教区と協議の上、常議員会の定める適当な期間、日本ルーデル神学校において研修することとする。

小委員会からの以上の四項目による報告を受けたが、小委員会の委員(近畿・キープ、石村)の中から報告後にそれぞれの立場で互いに異った意見と強い反対意見を述べたことで議場は混乱を生じた。

この準備委員会では、結局「他のルーテル神学校を卒業したもので、日本福音ルーテル教会の教師を志す者は‥・・・・は一定の期間日本ルーテル神学校で研修する」という条件は受け入れ難いものとして、近畿ルーテル教会は合同への最終的応諾の意思は表明しなかった。そのために、二月二十四日まで、近畿からの合同に対する最終的回答を延期することにして、この日の会を閉会した。

このように一九六三年の新春に入っても、東海福音ルーテル教会、日本福音ルーテル教会、スオミ教会、近畿福音ルーテル教会、それに西日本福音ルーテル教会によるルター派の大合同に向けての協議と交渉はなんらの進展を示さず、いたずらに空転を重ねていく気配が色濃くなっていった。